Friday, April 11, 2014

YAGPとバレエの将来について考える。

2014年のYAGPのNYC final, final roundとガラを見てきました。
YAGPとはYouth America Grand Prixの略で、ちょっと前に公開されたドキュメンタリー「ファースト・ポジション」で取り上げられたコンクール。去年「ファースト・ポジション」を観たときに、来年は決戦観に行けるのかなーなんてのんびり思っていたのが実現しました。

今年で15周年のYAGPは、いまではローザンヌと並んで若手ダンサーの登竜門と言えるのではないでしょうか。初回グランプリだった方が最初はTriBeCaにある小さな劇場で行われた決戦がいまやリンカーン・センターで開催されてる!とおっしゃっていたことからもその成長ぶりが伺える。コンクールは、ソロ、パ・ド・ドゥ、グループといった部門があり、それぞれ年齢や性別で分かれています。順位はでますが、あくまでも将来のダンサーを育てることが目的。コンクールと並行して、有名バレエ学校やカンパニーのディレクターによるマスター・クラスやバレエ学校のスカラシップ・オーディションなども開催されます。8-19歳までが参加するので、バレエ学校へのオファーはもちろん、年齢によってはカンパニーとの契約もこのコンクールが提供する機会に含まれています。

アメリカ全土はもちろん、ヨーロッパ、アジアを含め全世界から出場者が集まってきます。決戦前にNYで行われていたNY finalsには300人を超えるダンサーが参加していたそう。ガラで披露された出場者全員によるGrand Defiléは圧巻!!「えーそんなに人乗るの?」とか思ったけど、乗ってた…。すごい。さすがここまで残っただけあって、数回のリハでキメてくる。NYCBのホームのリンカーン・センターのKoch TheatreでYAGPのファイナリストとして踊れることは若いダンサーたちにとって、素晴らしい経験になっただろうな、とジーンとしてしまった。

こうしたコンクールが一国に留まらず国際的になっていくのはいいことだし、本当に教育的意義を考えたら当然と思うのだけど、もともとはアメリカにおける経済格差ならぬ「芸術格差」や芸術―特にダンス、バレエの将来をいかに持続させていくかといった問題への解決策の意味も含まれていたよう(http://www.huffingtonpost.com/phil-chan/steps-toward-diversity_b_4843718.html)。実際に、家庭や自国の経済状況でプロのダンサーを目指すことが困難な才能あふれる若いダンサーたちがこのコンクールを経て、世界中のカンパニーで活躍している。NYで行われるファイナルの旅費もカバーされるという太っ腹ぶり。すごい。

ガラはStars of Today Meet the Stars of Tomorrowというタイトルで、入賞者たちのパフォーマンスとコンクール出身者(同窓生というのかしら)やゲストによるガラ・パフォーマンス。決戦に残った日本人ダンサーたちは上手だなーと脱帽。やっぱり日本人の丁寧さは評価に値すると思う。男子も女子も入賞者がいました。ローザンヌで一位でスカラシップをもらった二山さんがシニアの男子の部で一位!さすが。グランプリは同じくシニアの男子の部から出場していたCesar Corralesは、思わずアツくなってしまうようなパフォーマー。ドンキのバジル、ハマってた!グループの1位だったメキシコの学校の身体能力ものすごかった。人間が壁になってそこを駆けていくのがとても印象的。

Stars of Todayは、わたしの大好きなNYCBのSara Mearns、ABTのMisty Copeland(Ballroom dancersとのコラボ!)やシュツットガルト・バレエのEvan McKie(NYデビュー!)、それからおそらく初めてLucia Lacarraを観て、豪華さにクラクラ。恥ずかしながらガラ観るまで知らなかったのだけど、MOMIXというカンパニーのナンバーもとっても面白かった!スキー・ジャンプの板をはいて(?)、シルバーの全身タイツに身を包まれた2人のダンサーの作品なのだけど、creative curiosityとダンサーの質の高さにドキドキ。とってもカッコ良かった。一流のバレエ・カンパニーで踊るダンサーたちのパフォーマンスや作品を観る機会があるのも若いダンサーたちにとって大事だよなと改めて思った。

んだけど。この点については触れないわけにはいかないので。
日本でもダンスの浸透度はかなり高いと思うのだけど、アメリカも同様。最近は下火になってきているようだけど、アメリカン・アイドルみたいなトーナメント式(というの?)でダンスを競うSo You Think You Can Dance?(SYTYCD)のようなテレビ番組、それからミュージック・ビデオ等でダンスを目にする機会はぐーんと増えています。が、これらで目にするダンスは果たして芸術としてとらえられるのか?テクニックを披露するならサーカスや体操と一緒じゃないか?と思ったりするわけで(というかサーカスや体操でも芸術性が高いものもあるからわたしとしても複雑)。それに加え、さすが競争社会アメリカとでも言うべきなんだけど、アメリカにはCompetition Danceと言って、ジャズやモダンベースのダンスがあり、とても盛ん。competition danceというだけあって、開脚ジャンプやらターンやらがやったら多い。こうした環境にいると、バレエに限らずダンスの芸術性とは?というのが問題になってくる。

YAGPをみていても思った。テクニックが強いダンサーはたくさんいる。今日も10歳の子たちが余裕でトリプル以上のピルエット決めててすごいなと思った。たしかにいまの時代、女性でもピルエット3、4回くらい回れるの普通とか思われてるかもしれないけれど、それをやって作品の流れが切れてしまうならやんない方がいいっていうか、やる意味がないわけで。極端な例だけど、回れるからって「白鳥の湖」の二幕のソロの最後のナナメのところで、音にはまらず回り続けるオデットとか観たくないし。artistryってそういうものじゃない。

参加者の年齢的にも「どこまで脚があがる」「何回ピルエット回れる」「どれだけバランスとれる」というのは分かりやすい指標なのかもしれないけど、それでもダンスは、バレエはそこじゃないだろうって思わずにはいられない。もちろんテクニックだけじゃない、「ホントにそれで14歳なのか…!」と言いたくなるような素晴らしいダンサーも多いのだけど。

なぜこの話をしているかというと、ガラでも入賞者やプロのダンサーたちが踊っているとき(そりゃ確かに世界トップレベルのダンサーだからテクニックもすごいけど)に、「評定会じゃないんだし、そんな技決めるごとに拍手しないでも…」と思わずにはいられなかったから。
会場は関係者であふれている。つまり出場者の家族や友だち、それから出番を終えた出場者たちが、バレエを観るときに「そういうところ」を重視してるということになる。応援の意味もこめての拍手や声援ももちろんあるだろうし、テクニックのレベルがもちろんすごいんだけど。ただわたしが息をのむのが「すごい」じゃなくて「そこまでやらなくていい・心臓に悪い」みたいなニュアンスになるのが少なくなかった。

あと多分普段劇場にバレエを観に行くような機会がない人たちもたくさんいるからだと思うけど、マナーが悪い。YAGPのファイナルとガラなんてもう本当にお祭りみたいだから許せるんだけど、それでも「ああバレエに携わっていても、バレエをどうやって鑑賞・味わえばいいかしら知らないんだなぁ」と。

わたし厳しいのは分かってるのだけど、こういうところがバレエに関わっていて、人間形成に意味あるところだと思ってる。

まぁこういうコンクールである以上、それはそれで仕方ないし、なによりも、YAGP、それからその後のバレエの教育を通して、よりよい方向に成長していってくれればそれでいい、と思っています。それも含めた教育の場であってほしいな、と。参加者はもちろん、先生や家族をはじめとする彼・彼女たちが属するコミュニティー、そういったところにYAGPのような場で発信されるものが少しでも伝播していくのが重要だし、それが開催の根底にあるのってとても大事だと思う。

いろいろ残念だと思ったことを書き綴ったけれど、こうした機会があるというのは本当に素晴らしいことだし、To ensure the future of danceというフレーズがYAGPのロゴとともにスクリーンに写されたときはその心意気に胸が熱くなった。
「お稽古ごと」であっても、プロを目指すのであっても、教育的な側面として大事な部分って一緒だと思う。日本は「お稽古ごと」の精神があるから、他の国と比べたらこうした考えは浸透してるのかもしれない。でも「ただの習いごとだから」とか「バレエは学校教育で使えないから」というような考えに対して、いやいや、意味あるよ、って言えるものを見つけた気がする(というか、本来習いごとやお稽古ごとの意義はそこにある)。バレエ人口が超多い日本において、バレエの教育的側面をしっかり考えて、サポートできる体制がきちんとあったら、たとえ、お稽古ごと・習いごとでも、学校教育じゃなくても、ちゃんと大規模で意味あるものになる、とこの2日間、YAGPの規模のデカさを体験して、思いました。

がんばろ。